なぜ日本から森林浴が生まれたのか、信仰から考える。

*このブログは、小野なぎさ個人の考えを書いております。

日本人の多くは、森林浴という言葉を聞いたことがあるだろう
日光浴、海水浴と並んで森林浴という言葉がある。
ただ、何をすれば森林浴なのか?と聞かれても誰も答えることはできないだろう。
考えてみれば、真夏のビーチで寝転んでいるだけでも海水浴と言われるように、
何分海に入って、ビーチでこれをしたら海水浴だというような「方法」ではないからだ。
文字のごとく、お風呂に浸かるように、森に浸かる、森を浴びているような感覚
そんな心地をわたしたちは森林浴と呼んでいるのだろう。

山形県小国町 温身平

しかし、海外の人は違う。
森林が及ぼす身体への健康効果、森林で行う健康の取り組みとして
森林浴という手法が日本から生まれたと伝わっているようだ。
わたしは2009年に、この森林浴を体験するためのプログラムを作った。
効果を検証するための方法としてというより、
森林浴の効果を感じやすくするためのワークを取り入れた森の楽しみ方だ。
ただ森を歩くだけでなく、五感を使い、森が与えてくれるさまざまな刺激を楽しむ
香る、聞く、触る、見る、食べる、といった感覚に意識をおいて森をのんびり歩く。
その結果、身体へなんらかの良い効果が感じられる。

1983年に日本から森林浴が誕生した

森林浴という言葉は、当時の林野庁長官が提唱した。
森林浴が日本発祥だということを知らない人も多いだろう
北欧など森が多く、明るい森でピクニックをしているような国から
生まれたと思われてもおかしくない。

ウィーンの森
ウィーンの森

もう一度言っておくと

森林浴は日本発祥だ

ただ、わたしにはたった40年の浅い歴史から生まれたとは思えない。
そして、健康への効果があるから40年前に日本で言葉が誕生し
森林浴が日本に浸透しているとも思えない。
海外の人へ、日本発祥の森林浴を説明する度、違和感を感じていた。
この違和感を解いていくために、
根本である、日本人と森の関係、自然観に関して学び直している。

山梨県山梨市

日本は、自然の豊かな国だ。
四方が海に囲まれ、四季があり、国土の7割が森に覆われている。
世界では森林が減少している一方
日本はここ数十年、多少の変化はあれ森の量は変わっていない。

伝統と文化は、自然と神道と重なる


「あなたの宗教はなんですか?」

こう聞かれたらなんと答えているだろう
あまり意識をしていない。と思う人も多いのではないだろうか?
強いて言えば、仏教かな。という信仰感が多い気がしている。
キリスト教のように、崇拝する人物がいて、聖書があり、礼拝をする
同様に、仏像を拝み、お経を唱え、参拝しているかと言われると
なにか違う感じがする。

福岡県豊前市

宗教として意識はしていなくても、
日本には神道の考え方が染み込んでいるように思う。
それは宗教というより、文化や伝統なのかもしれない。
崇拝する人物がおらず、伝える書物がなく、個人がというより
共同体として信仰しているのが神道だとわたしは理解している。

神道でいう神は自然だ。

ここでいう自然は、英語でいうNatureの自然ではなく、
自ずから然り(おのずからしかり)
ただそこにあるもの、ありのまま、あるがままの状態を指している。
動植物が豊かに茂っていることとは違う。

四季があり、雨が多く樹木が豊かで、水が潤う、海に囲まれた島国
美しく、優しく、恵まれている環境にある国。
一方、地震があり、台風があり、雷があり、自然災害の多い国
人間の手には負えない、逆らうことのできない、恐ろしい自然環境にある国。

 大自然は慈母であると同時に厳父である。

  寺田寅彦『日本人の自然観』より

日本人にとって自然は、優しくもあり、恐ろしくもあり、
人間の力ではどうにもならない圧倒的な力をもつ、恐れ敬う存在。
これをわたしたちは、“畏敬の念”といっている。

神道は、伝える書物がない代わりに、お祭りなどの儀式がある。
地域に伝わるお祭りの多くは、家内安全、五穀豊穣、疫病退散を祈る
この祈りの対象となる神は、決まった人物ではなく自然だ。
自然に感謝や願いを込めて、祈りを捧げる先祖から続く儀式だ
わたしたちは自然に祈りを捧げている。

形として人物がいるわけでも、伝える書物もないので
宗教として意識をしにくいかもしれないが、
日本人にとって自然は神であり、
自然信仰が日本の宗教の基盤なのだと思う。

太古から森に癒される日本人

ここまで来れば、なぜ日本人が山や森に入ると
心身が禊がれ、心が休まり、自身と向き合う気持ちになるのかがわかるだろう。
八百万に神を持つ日本
山に、川に、畑に、樹に、家に、トイレにあらゆるものに神様が宿っている。

森林浴は、日本で初めて身体への医学的効果が証明されたから
日本から生まれたのではない。
日本人と森林は、遺伝子レベルでの信仰関係があるから
真に癒されるのだとわたしは思っている。

この感覚は誰に教わったわけではない
日本の自然が、伝統文化が、わたしたちに伝えてくれている感覚なのだと思う。
これが日本から森林浴が生まれた本当の意味でないだろうか。

先祖に学び、地域に習い、伝統を味わい、文化を楽しむ
わたしたちは過去に戻ろうとするのではなく、未来がどうありたいかを語り合い
想いを持って今を精一杯生きていくことで、良い未来を作れるのだろう。

さぁみんな、楽しく未来を語ろうぞ!