森と未来が伝えたい日本の森林浴とは?

森林浴(Shinrin-yoku)

木漏れ日を浴びて、爽やかな風にそよがれ、快適な心地。
日本人の誰もが知っている森林浴には、やり方があるのだろうか?

森林浴という言葉が提唱されてから42年
多くの日本人は、”森を浴びるような心地良い行為”を「森林浴」と呼んでいる。

「日本の森林浴について教えてほしい」

「森林浴のやり方を学びたい」

「森と未来の森林浴を受けたい」

昨今、こんな問い合わせが国内外から多く届くようになったのは、森林浴による身体への健康効果が証明され、医療関係者による森林医学の研究や、森林セラピーなど健康のために森林浴をしよう、という動きが広まってきたからだと見ている。

では、日本が発祥の森林浴とは一体なんだろう?

「森と健康」

自身が「森と健康」について学び始めたのは2002年のこと。
森林浴による身体への健康効果が医学的に証明されはじめ、免疫の向上、ストレスホルモンの減少、血圧/脈拍の低下など、森林浴は、ストレス社会で生きる現代人にとても必要だと強く思った。

一方、その頃わたしは東京農業大学 森林総合科学科にて、日本の森林について学んでいた。
日本の森林・林業の現状を知り、先人が大切に植え育ててくれた日本の森林は、今のままでは放置された森が増え、管理が行き届かず、荒れ果てた状態になってしまう・・
森を(山を)適切にメンテナンスするために、どうすれば森にお金を落とすことができるか。
そんな大きな課題と向き合っていた。

この2つの視点から、わたしは
森林浴を取り入れて人と森の関係をもう一度見直すことをやってみようと思った。

森と人、異なる期待と価値

この20年間、色々な立場の人を森へご案内し、いろいろな話をした。
森の豊かな山村を訪ねると、森の魅力は、木材の価値であったり、森から流れる心地よい風や美しい水、さらには暮らしにおける信仰の対象であることが多かった。しかしその森は今、木材価格が下がり、想像を超える気候の変化で山を維持していくことが難しい現状にあった。

一方、都会の暮らしは、最新の情報が溢れ、人々はデジタル機器と向き合い、コスパ・タイパが求められるスピードの中、ストレスに揉まれている人たちは、自然に、森に癒しを求めている。

日本の医療と向き合う一部の医師たちは、身体に健康効果のある森林という空間に可能性を見出し、あらゆる可能性を検証するため、研究に励んでいる。

このように、一言で「森と人」と言っても、立場によって興味や期待が異なることがわかった。
では、森林浴はこれからの未来に、どんな価値をもたらすことができるのか?


時代の流れからか、森林浴の魅力は医学的効果がフォーカスされることが多い。医療技術の発展のおかげで、ここまで身体への効果がわかってきたことは本当に素晴らしい進歩だと感じる。しかし、森林浴は、健康になるための方法、と一言で括られてしまうのには、何かしっくりこない。(小野個人的な意見)

ある時、海外の行政の方に、こんな質問を受けた。

「森林浴をするために、健康に良い森を作りたい。何の木を、どのくらいの間隔で植えたら良いか教えてほしい

なるほど。と納得した反面、何かが違うと感じた。
健康のために森と触れ合うことは大賛成だが、人間の処方のために森をつくる、という考え方は、どこかリスペクトにかけている気がした。ストレス社会で医療負担が増大する日本において、健康効果を期待することは頭では理解できるのに何に違和感があるのか、としばらく悩んだ。

わたしにとって森林は、ただ木がたくさん植って育っている場所、だけではないという感覚がある。
森林は、多くの命が集まる共同体であり、何か宿るものが存在しているという感覚がわたしにはある。

森へ行くと、その森を代々大切に育ててきた人たちの想いに触れ、木々だけでなく、動物や虫、土壌や微生物まで、たくさんの命がそこで生きている。
新しい命が誕生し、やがて朽ち、亡骸はまた新たな生命の源となっていく。

森林は、破壊と再生を繰り返す生命の循環の塊であり、
太古の昔から今もなお、わたしたちが触れることのできる唯一の存在だ。

そして森林は、その土地を守り、人々に大いなる恵みを与えてくれている。

森は、記憶という魂が詰まった命の集合体なのだと悟った。

それからというもの、山村に暮らす方や、都市に暮らす方、海外の方を森に案内するたびに、森林浴を通じて、こんなメッセージを伝えるようになった。

森と未来の森林浴

わたしが森林浴で伝えたいことは、環境問題を解決するためでも、人々の健康を守るためでもなく「人と森が寄り添い、共に豊かに生きる方法を見出すため」だと気づいた。

国内海外では、色々な手法で森林浴をレクチャーしている活動があるが、森と未来が伝える森林浴は、この3点を大切にしていきたいと思っている。

1、五感を使い森を感じる

  =思考を休め感覚に意識を向ける

2、土地の記憶とつながる

  =森を通じてその土地に伝わる人々の想いや成り立ちに触れる

3、森と人の未来を想像する

  =今、ここにある森とわたしたちの未来を想像する

詳細をお伝えしていこう。

1、五感を使い森を感じる

森林浴を求める人の多くは、森という空間でリラックスをし、心身のリフレッシュを求めている。
スピードに追われ、これから先の未来に考えを巡らせ続ける日常に、今、ここにある自分の感覚に意識を向けることで、自分と向き合う時間を手に入れることができる。
自然界のリズムに身を委ね、ゆっくりと呼吸をすることで、身体の緊張は緩み、本来自分が持っている感性を思い出していく。

2、土地の記憶とつながる

森は、100年、200年、300年という時間をかけて成り立っている。日本の森の多くは、先祖が植えたり、その土地で大切にされてきた場所であることが多い。今、ここにある森はどのようにここまでやってきたのかを知ると、その森を守り続けてきた人たちの想いに触れることができる。人々の記憶と共に時を刻んできた森に思いを馳せると、今、ここにいる自分の価値に改めて気づくことができる。

3、森と人の未来を想像する

森は、わたしたち人間よりも長く生き続けることができる。今、自分が感じている心地を、子どもたちに、さらにそのまた子どもたちにも伝えていきたいと思ったとき、わたしたちは、森と共に生きる未来を想像するだろう。

森と人が寄り添うためのステップ

森林浴を提供する人たちにとっては、それならできる!森林浴は素晴らしいから森に呼ぼう!
と言いたくなるだろう。
しかし、普段森から離れて暮らす人にとって、地方の森へ行くというのはハードルが高い。
自身も東京のマンションに暮らしているが、今の仕事をしていなかったら、休みの日にわざわざ森へ行く、という選択は機会と出会えなければ難しいと感じる。
さらに、日本の森の課題について説明され、危機感を煽られても、森に触れることのない暮らしにおいて、日本の森林の課題は壮大すぎて、違う世界の課題だと感じても仕方がないことなのかもしれない。

わたしは、森林浴は、人が簡単に森と触れ合う一つの手段だと思っている。
距離感に応じて一緒にステップを踏んでいけば、気がつくと森林の再生に取り組む仲間が増えていくと信じている。

森と人が寄り添うためのステップ

1、まずは、森を想うこと。都会の暮らしの中で、森を想像したり、森に行きたいなと思うきっかけが必要だ。
2、日本は都会にも意外と木々がある。まずは身近な木々と触れ合うことが森林浴の魅力を知るきっかけとなる。
3、もう少し深い森で森林浴をしてみたい。そう思えた時に、いよいよ地方へと足が向く。
4、地方を訪ね、ガイドさんに案内していただき深い森で森林浴を体験すると、その土地の記憶に触れる。すると、自ずと森の現状や課題を知ることになるだろう。
5、森に癒され、何か心の動く体験をした人は、きっとその森に対して何か貢献したいという気持ちが湧く。

森林浴から広がる豊かな未来

これがわたしが森林浴を通して伝えたいこと。

暮らしている環境に関わらず、ストレスを抱える人たちにとって森林浴は、医療に頼らず自ら心身を回復させることができる素晴らしい機会だ。

日本には色々な課題があるけれど、それらの課題は自分ごとでない限り、残念ながら誰かの課題としてしか認識されない。
自分が心底森で癒された経験をしたら、またその心地を求めて森にやってくるだろう。
その森に困っていることがあれば、何かできることを考えようとするだろう。

こうして森と人は時間をかけて、じっくり未来を作っていけるのだと思う。

森と未来では、森林浴を広げていくための仲間をつくる活動をしています。
ご関心があればぜひ一緒に学びを深めていきましょう。