日本の山がお金をうむために必要なこと。〜森林浴から見えた所有者と利用者の関係〜
木が高く売れた時代がある。
山を持っていて、林業をやっていたら
山はお金に変わった時代があった。
時代は変わり、木に変わる材料が増え
格安の木材も輸入できるようになり
山はお金にならなくなった。
だから、山の仕事を続けられなくなった人もたくさんいる。
そんな日本の森林
売れなくなった今も先祖が植えてくれた木々を大切に育て
森を、山を、守っている人がいる。
求めてくれている人のために、林業を続けている人たちがいる。
わたしは、木を売る以外で、森林でお金を生み出す方法を考えている。
木が売れなくなったから育てるのを辞め
お金にならなくなったから手放してしまったらどうなるか。
森林=お金 だけの価値ではなく
森林=生き物の住処 であり、森林は二酸化炭素の吸収源であり、
台風や大雨から国土を守ための地盤そのもの。
だから、木々の手入れがちゃんとできるよう、最低限のお金を森へ還元する必要がある。
森林の場(空間)を使って事業を生み出す
そんな思いから、わたしは森林の場(空間)を活用して事業を生み出すことに挑戦している。
森林浴は、心地よい森を歩くことで健康に良い効果があり、現代人の心を癒してくれる。
100年前の暮らしには必要なかったことかもしれないが、
2020年現代を生きているわたしの時代には、心身を癒す時間や行為は必要だと感じている。
そんな森林浴をいろいろな対象やシーンで行い、どんな仕組みが必要で
最低限何があればまわるのかを考えている。
最近、森林浴の実績を重ねるだけでなく、
とても必要だと思うことがある。
それは、森林所有者(山主)と森林利用者の相互の理解。
「俺の山案内したら、金とってもいいってことですか?」
ある地域で森林浴の可能性について講演したとき
山を持っている方(森林所有者)からいただいた質問だ。
ただ自分の山に人を案内したからと言って、お金を払ってもらえるかどうかは正直わからない。
(というか、多分払う必要性がわからないだろう)
森を歩く時間や体験が、サービスとしてちゃんと成り立っているのか。というのがポイントだと思う。
「日本の森は杉檜ばっかりで魅力ないんだよね」
森を利用したい人からよく聞く言葉。
確かに広葉樹の方が賑やかで多様性を感じやすい。
でも、子孫に価値を残そうとして植えてくれた木々
禿山に苗木を担いで山を登り、一生懸命木を植えてくれた先祖を思うと
山主が聞いたらあまりにも残酷な言葉だと思う。
杉、檜、は悪くない。
これは全ての人に言いたい。
森を育てていくために
森で楽しませていただくために
そんな謙虚な姿勢が必要なんじゃないかと思う。
森を持っている人は、山の所有者であり、木々の育ての親ではあるけど
その前に、森は生き物だということを忘れてはいけない。
森は会議室や建物のように所有物として考えてはいけないと思う。
森林の所有者は、森を健康に育てていけるように取り組み
森林の利用者は、森で楽しませていただくために大切に使う
その双方が活動を続けていくためにお金のやり取りが発生するのは納得だろう。
全体の約4割が人の育てた森である日本では
健康な森を育てるためには、手入れにお金がかかる。
大切なのは、所有者と利用者の相互理解。
なんのために森へ入りたいと思っていて、
なんのために山にお金が必要で、どうすれば森が健康でいられるのか。
相手の課題や希望を聞きれる耳を持ち
一緒に考えていこうとする姿勢が何より必要だと思う。
私たちの世代で、森が消える、そんなことにならないよう
人がきちんと対話をして、未来へ森をつないでいきたい。